最後の夢のおわりについて

身辺の悲しいことなので折りたたみ

マスキングを外す/カミングアウトして生きていく人間が必ずといっていいほど遭遇してしまう「親族や交流が深かった人との縁切り」についてある程度覚悟していたのだけども、それが、よりにもよって物心つく頃からの幼なじみになるとは思っていなかった。
わたしのラベルが、縁を切るきっかけの、直接的な原因になったわけはない。でも、わたしがわたしから取り外した「マスキングをしているわたし」こそが、幼なじみがわたしに求めていた「親友」だったから。わかっていた。わたしはもう、幼なじみの期待に応えられる人間ではなくなっていた。いや、最初からわたしはそうではなかった。そのことに幼なじみは今も気づいていないんだと思う。わたしが「何かを間違えて」変わってしまったと幼なじみは思いこんでいるんだろうけれども、でもその誤解を解くことはもうできない。
小さい頃はよく喧嘩もしたけれど、中学に上がるころから今まで一度もわたしに直接怒らなかった人が、寛大だった人が、わたしの言動の刃に耐えきれなくなって怒ったのだ。それは、「親友」だというあなたからの声がけが時の経過とともにお世辞になってしまっていたことに気づかず甘え続けていたなれの果てだ。もう10年以上前から、生き方が相容れなくなっていたことには気がついていたのに。夢を、見ていたかったのだ。1年に一度会うかいなかであっても昨日会ったかのように楽しく話せる親友という夢。それは最後の夢だった。若い頃に見ていたたくさんの夢はすでにそのほとんどが失われていて、残っていた最後の夢が、ようやく終わった。
たくさんお世話になったのに、わたしはいつも自分のことばかりで一つも恩を返せなかった。でも、もうわたしの声は届かない。届いても傷つけてしまうから、思い出にまで傷がついてしまう前に離れるくらいしかできることがない。あなたのことを大事にしてくれる人はいるのだから、わたしのことは過去の人間としてけりをつけて生きていってほしい。
さようなら親友だった幼なじみ。いじめと暴言と暴力にうずくまるしかなかった小学生の時代、あなたがわたしと遊んでくれたから、わたしは心を失わずに生き延びることができた。ありがとう。

やはりゲームオーバーなのかもしれないと、やはりわたしは誰かと手を取って生きていくことなんて、この社会で生きていくことなんてできないのだと投げやりに言いたくなるけれども、でも、こんなわたしにだって、普通に接してくれる人たちがいて、守らなければならないものがあって、楽しいと思えるようなことがあるのだ。どんなに悲しくてもわたしは生きなければならない。