〈青い鳥〉

 

青い鳥。あおいとり。ぶるーばーど。ろわぞぶりゅー。

 

これは思い出、ノスタルジー、メモワール。昇華された回想。わたしにとっての、昨日の世界。

語ればいいかな、選べばいいかな。幸福のさえずりを消されてしまうその前に。すでに旅立ったわたしに代わって、見せてくれる?

青い鳥、あおいとり。

 

 

卵の奥から見える世界は、人影なんてまるで見当たらなかった。てすと、こんにちは、はろーわーるど。おそるおそる殻を割り、止まり木に足を掛けてそっと鳴いても、そのさえずりに応える声はなかった。どこからともなく他の止まり木を勧められることもなかったはずなのに、どうやって他の止まり木と繋がっていったかなんて、もう、思い出せない。

ねむい、おなかすいた、宿題めんどくさい、楽しかった、生きてる、出勤してえらい。

 さえずりに応える声がなくたって留まっていられた。他の止まり木と繋がって話しかけたってよかったし、通りがかりに声をかけることもあった。遠い街、遠い国の子と友だちにだってなれた。陽が沈むそのときに陽が昇る大地から知らない言葉のさえずりが聞こえた。鍵をかけた止まり木で秘密のおしゃべりをしたってよかった。家族のために全てを賭す者は束の間の息抜きをしてかけがえのない自由を繋いだ。災害を生きながらえた人のさえずりに皆が星を贈った。命を絶とうとした人を繋ぎとめたのはあまりにくだらなくておかしなさえずりだった。病に伏せるひとが努めて元気そうに日々を綴っていた。学会の奥底で行われていたはずの至高の議論が行われ、足を踏み入れる機会すらなかったかつての若者が聴講することだってできた。ちょっとした豆知識から偉大な叡智まで、あっという間に共有された。大好きな作家に話しかけられて嬉しさに舞い上がった。気がつけばあちらこちらで楽しげなショーが始まって、止まり木という止まり木ではしゃぎにはしゃいだ。抗議します、みーとぅー、わたしたちはここにいる。ともすれば閉塞する社会をちょっとだけ前進させることだってできた。

 

青い鳥。あおいとり。

星は好意の形へ変形し、卵から孵ることはなくなっても、

青い鳥は、わたし、あなた、かのひと。あおいとりはなんてことはない日々。誰かにとっての居場所、シェルターハウス。生きる術。世界は前に進んでいくのだという夢。生きのびるための祈り。幸福をもたらす童話。

どうして。ただ暮らしていただけだったのに、

不意に銃弾で撃ち落とされたのだろう。翼を引き裂かれ、突き刺されて、魂まで燃やされつくされたのは、どうして。

 

冷たい笑い声が反響する。友のさえずりをかき消してしまうほどに。

 

議論と批評は名のままに、暴論と誹謗にすげかえられた。言葉と画は盗まれて、知らない他人の物にされて売られた。止まり木は折られて、凍らされ、腐れ、消されていく。災害と戦争の悲劇さえ消費されていく。悪意という名の商材が、無告の鳥たちを撃ち抜いて、取り込んで、名前を奪っていく。

顔のない影がくるくる躍ってる。欲望と野望を燃やしながら。まっとうな心と誠実な言葉を薪にくべて。百、千、万、億の、賞賛と怒号と悲鳴と憎悪がお金に変えられていったその先で、

火星に行こうと天才が語る。

冷たい笑い声が追いかけてくる。「議論せよ」と首を絞めてくる。「逃げるな」「戦え」と迫りくる。突きつけた銃口の奥に、虐殺の弾丸が装填されて――……。

 

青い鳥。

あおいとり?

ぶるーばーど? ろわぞぶりゅー?

どこにいるの。

  

 

 

さようなら。

さようなら青い鳥。あおいとり。

ぐっばい、ぶるーばーど。あでゅー、ろわぞぶりゅー。

手負いの鳥たちはどこへ飛ぶ? 火星ではないよ、地球のどこか。群青の雲を越え、嵐を振り切って飛んでいくよ。決して癒えない傷を背負っても、凍てついた風にさらされようと。

人生の映像を、走馬灯のように見せるには早すぎる。火星行きの燃料にはなってあげない。暴言と嘘つきなんかのために死んであげない。

たとえ文明が後退しても、暴力と災厄が世界を蹂躙しても、

暗黒へと沈む誘惑を蹴り飛ばして、生きなければならない。

 

青い鳥。あおいとり。ぶるーばーど、ろわぞぶりゅー。

この青い星を泥だらけのまま走り続けて、走り続けて、やがて土くれとなったその果てで死を迎えたい。

アスファルトのひび割れをかいくぐり、雪のビロードがたなびく山嶺を渡り、柔らかな霧のたゆたう森の向こうへ行こう。

湖のほとりで糸を紡ぐ、竜と魔女のおとぎ話に耳をすませて、

流転する青い空、虹とオーロラの隙間から、あなたとかのひとから贈られた星々を散りばめて、

ここで、地球で、木々と草花の根づく大地で、

愛するものたちと生きた思い出を抱きしめて、永遠の眠りにつきたい。

 

青い鳥。あおいとり。ぶるーばーど。ろわぞぶりゅー。

青い鳥は、わたし、あなた、かのひと。

あおいとりは確かに、誰かの命を繋いだ居場所、幸せをもたらす夢、だった。

忘れないで。

 

 

 

23年12月6日 別名義でしずかなインターネットに公開

24年1月5日 しずかなインターネットから取り下げ。月森あさせ名義で修正・再公開