繁忙期、無事に脱出して消化試合に入っております……今年も辛かったな……。
例年に比べて比較的落ち着いて過ごすことができていたんですが、やはり自分の魂を救うものなり息抜きに出かけたりすることは大事だなあと思いました。今年はセーラームーンとCoocoさんのビアトリス、映画鑑賞などなど。セーラームーンは前の日記で思いの丈を書き殴ったのでここでは割愛して、Coccoさんのビアトリスすごかった……すごかったよ……この方は本当にすごい。
Coccoさんは、どうあがいても社会と相容れないものを抱えている人たちを排除せずに手を差し伸べてくれるような、そんな歌を力強く歌い続けている人で。わたしは子供の頃からずっと救われつづけているんだけども、それにしたって今回のビアトリスはわたしが特に好きなCoccoアルバムのラインナップに堂々入ってきたなと思う。サブスクに入ってるから聴いてほしい。聞き流すにもちょうどいいと思うので。
あとは、読書。このサイトを作るずっと前から、精読を要するような本を読めなくなってて「わたしもついに老化しているのか……」と困ってたんですが、繁忙期の真っ只中に突然復活して現在複数冊を並行して読んでいます。極端。
心当たりがあるにはあって、おそらくSNS疲れの解消なんですよね……Xから離れて時間も経ちつつありますし、繁忙期を迎える前に、日常用で使っているsnsのTLやリストなどを整理して山小屋にひきこもっているような状態にしていたのです。少しでも穏やかな気持ちで過ごすためだったんですが、思わぬ効果があったのでこのままでいい気がしてきたな……でもあんまり情報過疎でいるとそれはそれでデメリットがあるのでほどほどに緩和したいなとは思う。
続きはクラフラのことと、あと前の日記でぼやいた不良である自分のことについてと友人の日記を読んでいて思ったことなどです(望んでないかもしれないけど明記しておきますごめんね)
oritatami
繁忙期は絶対に創作の文章を書いてはいけない期間なので、息抜きにクラフラの登場人物紹介ページを手直ししたり名前が決まったキャラを追加したりしてました。気がついたらけっこう増えて……るね……。お蔵入りになっていた別の創作から持ってきてクラフラの世界設定に合わせて調整している子もいるんですがそれにしたって……まだ出してないキャラもいるんですよね……。全員本編に出せるようになるまでどれくらい時間がかかるんだろうとか考えてはいけない。
【追記】髪の色の一覧でいい感じにわかりやすい記事を見つけた。こちらを参考に配色を決めてない子たちを決めていこうかな。
それとフランカの髪はハニーブロンドをイメージしていたので「蜂蜜色の金髪」と表現していたんですけど、ハニー→蜂蜜ということで蜜蜂が眷属のユクスと若干表現がかぶるな〜と気がついてしまったので近い色の表現に変えようと思います(ユクスは白〜銀髪赤目かつ独特の髪型なのでビジュアル自体は全くかぶらない)。この一覧だと次にイメージが近いのはミルキーブロンドなんですけど、ミルキーブロンドって和名だと何色が近いんだろ……? 髪の色はカタカナではなく漢字表現を使ってるので互換できるなら統一したいんだよなあ〜うーんうーん。
閑話休題。
全ての話を性描写(セックスとか)なしの全年齢向けで書くのは無理だな! と調整しながら確信したので、相応のラベリングをして投稿する話が出てくるようになるんじゃないかな……と思う。作中で差別描写や暴力描写などが発生するときはセンシティブラベルないし注意書きをするつもりではいたんですが(せめて第一繍の話を書いてからいいなよって感じでもある)(第一繍は全年齢向けで書くつもりです)。
基準はこちらのポストの画像を参考にしていこうかなと思っています(ログイン必須)。文章とはいえ、わたしも日本で育ったオタクとしてまだまだ甘いはずなので。
そうなるとサイトで全てを公開していくのはわたしの技術的にも厳しい(生成AI対策も踏まえると)ので、投稿はクロスフォリオがメインになるかもしれません。調べたかぎり、生成AI学習を弾いてる創作サービスってクロスフォリオとくるっぷぐらいなんですよね。カクヨムも弾いてくれればいいのに。でももう少し考えます。そして、その方向性なら「少女小説」のラベリングは外したほうがいいかもしれないなあと思うので、第一繍を書きながら考えていきたいです。前は少女小説であることにこだわってたんですけど、クィア・ファンタジーのほうが「軽やかに」感じるということはそういうことなんじゃないかと思うので。ジャンル分けって難しい。
気持ちも創作モードに切り替わりつつあるので、クラフラの本編書きを再開します。ようやく書くことができる。がんばるぞ。
ここからは私事のおはなしです。
前の日記で「わたしは真面目に活動している人や団体各位にとっては不良の存在だと思う」って書いたと思うんですけど、繁忙期の間もそれでいいのかとずっと考えていた。でも、ビアトリスを聴きながら今までの人生において私生活・SNSで受けた多方面からの誹謗中傷や差別やマイクロアグレッション(だったんだなあとようやく気付きつつある)を振り返ったり、友人の日記を読んでふと朝日新聞の山本直樹さんのインタビューの記事を思い出して読み直したりして、いや、わたしは不良のままでいいんだなと思いなおした。慣れ親しんだ場所にも帰れず一匹狼になり続けるのだとしても、もう、「いい子」になろうとしてはいけないと思った。「いい子」である未来のほうが、わたしにとっては地獄なのだから。成人して随分経つ人間だけど、あえて「いい子」という表現を使ってこのまま話すね。
わたしはなんとか社会の提示してくるルールや義務を守り果たして働きながら生きていくことができているけれど、どうあがいても「一般社会」と折り合いのつけられないもの、他者には理解しがたい考え方や欲望や断絶を複数抱えていて、でも、そういう人間だからこそ書ける言葉や物語ってあると思うし、そういう人間も生きていたっていいんだって創作を通して言い続けていたい。Coccoさんみたいに。だって、わたしは、そういう作品に救われつづけてきたのだから。日常に潜む悪意に何度も蝕まれても、ご高名でも格式高くもないエンターテイメント作品がカウンターとなってくれて、立ち上がらせてくれた。それらの中には、「うつくしいひとを望む一般社会」が顔をしかめたりなかったことにしたがったり、誰かにとっては目にも触れたくない差別構造的な作品だってあった。命を繋いでくれる創作は、「漂白されていくばかりのうつくしい一般社会」にとって都合のいい作品などではない。意図せずカウンターとなった創作作品に支えられ命を繋いで生きてきた人は、過去にも現在もこの先の未来にもたくさんいたし、たくさんいる。
だから、「一般社会」にとっての「いい子」にはならない。つらくても、泥だらけでいたほうがいい。そういう人間が社会に殺されることなく生き抜けたなら、それこそがわたしにとって最高のハッピーエンドなんだと思う。歴史における「無告の民の一人」として埋もれていくのだとしても、なかったことには絶対にできない。わたしのような人間をなかったことにできなかった「一般社会」にざまあみろって笑いながら最期を迎える、そういう人生を生きたいと思った。何を言いたいのかわからなくなってきたけど、書いておかないとすぐ忘れたりめげたりしちゃうので、ここに書き留めておきます。わたしは今のところASD/ADHDで、she/theyのジェンダー・ノンコンフォーミングのAroAceスペクトラムで、ついでに言うと左利きで。それらはクィアしていくかもしれないけども、わたしは、わたしが生まれ持ったものを抱えたまま、これからも生きのびていきたい。